「子ども手当」は江戸時代にもあった

2022年9月16日
保険の豆知識

「江戸時代にも子ども手当」という記事が興味深かったのでご紹介します。

日本経済新聞( 2022年8月15日)

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1700年ごろに普及していた「赤子養育仕法」という子ども手当

戦国時代が終わり、江戸時代に入ると田畑の開墾が進み人口が急速に増えました。

ところが1700年ごろを境に停滞しはじめ、寒冷化や度重なる飢饉により東北や北関東の農村部では人口が減少したそうです。

そうした中「赤子養育仕法」という施策により、全国で15以上もの藩が「子ども手当」を支給しました。

中には財政難でも所得制限を加えるなど頑張って、なんと100年近く続けていた藩もあったそうです。

このような制度を作った理由は、「年貢を納める農民の減少に、領主は危機感を持った」からです。

1700年以降は、耕作地が不足し飢饉が重なり経済成長も停滞、庶民は子供を産むのは控え、「少ない子供を一定の生活水準で育てよう」と考えるようになったことへの対策として「子ども手当」という発想になったようです。

その後養蚕業など農業以外の産業が発展し、幕末にかけて人口は回復に向かいました。

養蚕業などの新たな産業のおかげで女性の就労が進み、世帯所得が増えた結果出生率も向上したそうです。

江戸時代の話ですが、現在の状況と重なる感じがしますね。

 

出生率が上がらない現代の実情

現在に置き換えると、

「税金や社会保険料を払う人が減少することに国は危機感を抱いているが、給料も上がらないので多くの子どもを育てるのは難しい。女性が働きやすい社会を、とは言うが家庭も会社も社会も、後押しが力強いとは言えない」、といったところでしょうか。

手当も大切ですが、世帯所得が増えていくことがポイントと言えそうですね。

 

高齢化率30%の社会のために備えが大事

少子化が言われ始めて30年(江戸時代と比べるとまだ30年ですが)、目の前には高齢化率30%の社会が待っています。

私たちはまず自力で備えをしっかりとして、良い兆しを待ちたいですね。

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